/// 街角散歩≪夏島≫ ///

(神奈川県横須賀市)
2005.2.20(Sun)  「横須賀市リサイクルプラザ(アイクル)」
(神奈川県横須賀市)
 夏島の工業団地の一角に、「アイクル」という横須賀市リサイクルプラザがあります。
 対岸から見える工場群の中に建つ「リゾートホテル?」のようなモダンな建物が気になっていました。まさか、リサイクル施設とは意外でした。

【貝山緑地】
 「アイクル」を見下ろす小山が貝山緑地です。緑地の入り口には、予科練誕生之地記念碑、甲飛鎮魂之碑の石柱が立てられています。
 また、ここには追浜神社という海軍横須賀航空隊で亡くなられた方々を祀った神社があったそうですが、現在はその跡地に碑が建てられていました。

【予科練誕生之地記念碑】
 記念碑横の碑文には、次のように書かれていました。

 「光る海 明るい太陽の下 大空をこよなく愛し 国を思うひとすじの少年たちが溌剌としてここに溢れていた 
 昭和5年6月1日 横須賀海軍航空隊内の一隅に 海軍航空少年兵の 教育機関として 横須賀海軍航空隊予科練習部が誕生し やがて予科練と愛称されるようになった
 志願者の年齢は 十五歳から十七歳 修業年限は三ヶ年 優秀なる大空の勇士は英才の早期教育に俟つとの観点に立ってこの制度は創設され全国五千九百余名の志願者から厳選された七十九名が第一期生としてここに入隊した
 土浦 三重 鹿児島など 後には十九を数えるに至った予科練航空隊の萌芽である。
 時局の進展につれて 海に臨み山を負うこの地は狭小となって昭和十四年三月 霞ヶ浦湖畔に移り 翌年独立して 土浦海軍航空隊となった
 予科練の歴史十五年三ヶ月のうち 実に八年九ヶ月は ここ追浜の地で教育活動が行われたのである そこで目指したものは 優れた搭乗員としての人間形成と基礎教育であった 少年たちは鉄石の訓練をものともせず 乾いた砂が水を吸いこむようにあらゆるものを純粋に受け入れて自らを育てていった
 予科練を巣立った若人たちは 飛行練習生教程 実用機錬成教育と研鑽を重ねて たくましい若鷲と育ち 太平洋戦争に於いては 名実共に我が航空戦力の中核となり 水陸の基地から 航空母艦から 戦艦 重巡艦 或いは潜水艦から飛び立ち 相携えて無敵の空威を発揮したが 戦局利あらず 敵の我が本土に迫るや特別攻撃隊員となり 名をも命をも惜しまず一機一艦必殺の体当たりを決行し 何のためらいもなく 無限の未来を秘めた蕾の花の生涯を祖国防衛の為に捧げてくれたのである
 顧みれば少年たちは戦いを求めて この地に集まったのではなく 制空護国の一途な念いからであった 予科練誕生以来 既に五十一星霜 若人たちの至純の赤心が 祖国の安寧と世界平和の礎となることを祈念して 旧学び舎の丘の上にこの碑を建つ
           昭和五十六年六月一日 此の地に学んだ生存者一同


【鎮魂之碑】
 予科練誕生之地の記念碑の向いには、「甲飛鎮魂之碑」と「海軍航空発祥之碑」がありました。隣にある桜の樹は、この時期に珍しく四分咲きの花を咲かせて風に揺れていました。
【明治憲法起草地記念碑】
 貝山緑地から約2kmほど離れたところに、「明治憲法起草地記念碑」があります。
 これは、大正十五年、伊藤博文らが明治憲法を起草した伊藤の夏島別荘跡地に明治憲法起草を祈念した碑が建立されましたが、その後、荒廃していたのを昭和50年に現地に移したものです。





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