/// 街角散歩≪軽井沢≫ ///

2005.7.16(Sat)〜18(Mon)   「軽井沢別荘地」
(長野県北佐久郡軽井沢町)
 今年も軽井沢へ行ってきました。7月の3連休とあって相当の人混みを覚悟して出かけたのですが、夏休みのトップシーズンに行った去年よりも人出が少なく快適に過すことができました。
 初日は、軽井沢駅前で自転車を借りて、旧三笠ホテル、雲場池周辺の別荘地や旧軽銀座を散策しました。
 二日目は、軽井沢を離れ、鬼押し出しから万座温泉に足を伸ばしてきました。
 三日目は、佐久市に行き博物館や旧跡を見学した後、帰宅しました。


【旧三笠ホテル】
 旧軽井沢、三笠通りにあり、明治39年に開業した、純西洋風のホテルで、
現在は国の重要文化財として、ほぼ当時のままの姿で保存されています。
 昭和45年まで営業をしていたそうです。ここの窓ガラスも、江田島の赤レンガ同様、明治時代のもので、向う側が歪んで見えました。

 三笠通りは、高木に挟まれた通りで、車や歩行者も少なく木漏れ日の中、とても清々しい気分に浸れました。
【ミカドコーヒー軽井沢旧道店】
 モカソフトで有名なお店です。去年は、ソフトクリームを買うのに15分程度並んだのですが、今年は待つこともなく、また店内もガラガラでした。
 折角だから、「コーヒーでも飲めばよかったな〜」と後悔しています。
【軽井沢観光会館】
 名前は観光会館ですが、一般的な観光案内所とは違います。軽井沢散策に関するパンフレットが置いてあるだけです。
 休憩室やトイレがあるので、歩き疲れた時に利用するといいでしょう。ただし、トイレは有料で100円でした。
【軽井沢写真館】
 名昔の軽井沢の写真や天皇陛下のお写真など、写真を通して以前の軽井沢を知ることができます。写真では見にくいですが、「軽井沢写真館」という看板の文字に引かれて入りました。
【沖縄ショップ】
 お店の前にディスプレイされた旧軽銀座の雰囲気には不似合いな派手なTシャツに引かれて覗いてみると、店内は沖縄ワールドでした。
 そうです、ここは沖縄特産品の専門ショップだったのです。


 軽「力餅」は碓氷峠付近の名物のようです。提灯に描かれた文字に力があったので、勢いに押されてシャッターを押しました。


【つるや旅館】
 旧軽銀座の突き当たりにある旅館です。とっても趣がありました。


【ショー記念礼拝堂】
 旧軽井沢商店街を通り抜けた林の中にある木造の小さな礼拝堂です。1885年、この地を訪れたショー司祭によって避暑地軽井沢の歴史が始まりました。彼が夏を過ごしたバンガローが教会となりました。軽井沢らしい雰囲気のところですが、観光客はあまり見かけません。
 下の写真は礼拝堂付近の林で、右下はさらに奥に進んだ「にてばし」です。
【星野温泉 トンボの湯】
 古くから文人に愛されてきた名湯「星野温泉」にあるなかけ流しの天然温泉です。柔らかなお湯は、美肌の湯としても知られています。
 出来て間もないせいか、施設はとてもきれいです。結構、混んでいました。

【村民食堂】
 トンボの湯と同じ平成14年にオープンし、昼は定食屋、夜は居酒屋になるカジュアルダイニングです。
 カフェテリアは、トンボの湯の待合や休憩に利用する人が多いようです。
 また、ここでしか飲めないという地ビールがあったのですが、結構な値段だったので諦めました。しかし、後でインターナショナルビアコンペティションで4年連続金賞を受賞したビールと知り、話の種に飲んでおけばよかったと後悔しています。
【軽井沢グリーンヴィラ】
 今回宿泊したのは、グリーンヴィラ「軽井沢」でした。千ガ滝地区のとても静かな別荘地にある施設で、一家4人連泊で20000円ちょっとでした。とってもお得な宿です。
 朝食の海苔の包装には、「防衛庁」の文字がありました。


【鬼押し出し園】
 天候に恵まれ浅間山の迫力に圧倒されっぱなしでした。
 ここで食べたかき氷は、昔ながらのカンナで削ったもので、一般的なザラザラした氷のものとは食感が全然違います。この味が今でも舌に残っています。この氷以外のかき氷は食べられません。


【万座温泉ホテル】
 万座温泉は、標高1800mに位置する温泉で、その中でも万座温泉ホテルは万座を代表する最大級の規模の宿です。
 浴場は、本館にある「長寿の湯」がメイン浴場で、浴室内は全て重厚な木造りで、レトロチックな雰囲気を醸し出していて、心身ともに癒されます。木の浴槽が並んでいる露天風呂もあり、。山々を眺めながらの入浴はとても気持の良いものです。
【佐久市子ども未来館】
 帰りは佐久市まで足を伸ばし、子供たちを遊ばせました。軽井沢の雰囲気には退屈していたようで、はしゃぎ回っていました。

【旧中込学校跡】
 旧中込学校、明治8年に下中込村全戸の寄付により創建された、日本最古の洋風学校です。建設当時には珍しかったガラスを窓に使用したため、ギヤマン学校とも呼ばれ、各地からの見学者が大勢訪れたそうです。
 また、屋根に聳える八角形の塔は、中央の天井から、時間を告げるための太鼓がつるされていたので、太鼓楼と呼ばれたそうです。しかし、現在は残念ながら太鼓楼に入ることは出来ませんでした。
 

 信州といえば、外せないのが蕎麦です。パンフレットに載っていた一軒に寄って大盛で食べてきました。





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