街角散歩≪品川宿≫
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2005.11.30(Wed)  京急「品川」駅
(東京都港区高輪3丁目)
 品川駅から旧東海道の歴史散歩をしようと出かけましたが、電車内に下がっていた「泉岳寺」義士祭の中吊りが気になり、一駅足を伸ばして、泉岳寺をスタートして鈴ヶ森刑場遺跡まで約7kmを歩きました。

【泉岳寺 三門】
 京浜急行「泉岳寺」を出て、ゆるやかな坂を上ったところにあります。
 赤穂浪士の眠る地として、あまりにも有名なお寺です。
野匠頭長矩公の墓石
 赤穂義士たちの墓地の手前に、主君 浅野内匠頭が眠られています。
 義士たちは、ここで仇討ちの報告をしたのかと思うと胸が熱くなります。
 また、「赤穂義士の墓地」の入り口手前には、主君に差し出す吉良上野介の首を洗ったという「首洗いの井戸」があります。
【赤穂義士の墓地】
 平日にもかかわらず、多くの方が訪れていました。
 亡き殿の無念を晴らした武士の散りように感動がこみ上げてきて止まりませんでした。
 泉岳寺の参道には、お土産屋が数件あり、店先に吊るしてある山鹿流陣太鼓が目に付きました。
【品川駅】
 東海道の起点の「品川」駅と東口(港南口)のビル群です。
 品川駅は、JR在来線や東海道新幹線、京浜急行線が乗り入れる巨大駅で、その東側一帯にあった旧国鉄の貨物ヤード跡地の開発が進み、品川グランドコモンやインターシティーと呼ばれる巨大ビル群が林立しています。


【北品川のつり船】
 北品川の沿岸は、かつて海苔の主要な産地で、魚の水揚げも相当あったそうですが、現在では、つり船や屋形船が舳先を並べていました。
 ちなみに、この場所は、品川百景にも認定されています。


【八ツ山橋の親柱】
 明治5年、東海道線の開業に伴い、旧東海道へ木橋がかけられたのが、八ツ山橋の最初で、現在の橋は4代目だそうです。また、この橋は1954年公開の映画「ゴジラ」の中で、ゴジラに破壊されたことで有名です。
【北品川商店街】
 現在、旧東海道は、商店街になっていました。品川駅東口のビル群とは対照的に、レトロな雰囲気が残る商店街です。
 沿道には、多くのお寺や公園があり、東海道縁の記念碑が数多くありました。
【問答川岸跡】
 東海寺を訪れた徳川家光が、船で帰るとき、見送りの東海寺住職だった沢庵和尚に対し、「海近くして、如何が是れ東(遠)海寺」と問うたところ、「大軍を指揮しても将軍(小軍)というが如し」と沢庵和尚が答えた逸話が残っています。
【新宿お休み処】
 町の有志で運営する無料休憩所です。駄菓子屋さんとなっています。 
 ここでは、名所案内の「まち歩きマップ」が10円で手に入れられます。
 目の前の「品海公園」には、一里塚があったであろうところに「日本橋より2里」と書かれた指標がありました。


【品川(しながわ)神社】
 京浜急行「新馬場」駅から第1京浜を渡った国道沿いにあります。祭神は、女性の「天比理乃当ス(あまのひりのめのみこと)」で、53段の石段を上ったところが本殿です。板垣退助の墓所もここにあります。
【品川橋】
 東海道五十三次で、日本橋から数えて4つ目の橋です。江戸時代には、この品川橋を境にして北品川宿と南品川宿に分かれていたことから、境橋と呼ばれていたそうです。
【荏原神社】
 荏原神社は、北品川の鎮守「品川神社」に対し、南品川の鎮守として古くから親しまれています。神輿を海にくり出す勇壮な「かっぱ祭」が有名です。
【手水処】
 さすが、宿場町の公衆トイレは一味違います。江戸時代を連想させる土蔵作りでした。
【品川寺(ほんせんじ)】
 品川寺の入り口には、石の台座に江戸六地蔵の1つである地蔵菩薩が鎮座しています。
 寺の境内には、樹齢600年の大銀杏や明治維新時に、行方不明となり、その後スイスのジュネーブ美術館で発見され、60年ぶりに帰ってきた梵鐘があります。
【海雲寺】
 建長寺を開いた大覚禅師の弟子、不山東用和尚が開いた寺で、本堂には十一面観音が、荒神堂には、台所の火と水を守る竈の神さまである「千躰荒神」が祀られています。


【鈴ヶ森刑場遺跡】

 旧東海道が国道15号と交わる角地の三角地帯に、江戸時代の罪人処刑場所として有名な、鈴ヶ森刑場遺跡がありました。交通の激しい国道が横を通り、付近はマンションなど大きな建物がありますが、この一角だけは、独特の空気が流れているようでした。



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