街角散歩≪京阪五条≫
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2005.12.31(Sat)  祇園「一力亭」
(京都府京都市東山区花見小路四条下ル)

 御先祖への御参りのため、東山五条にある大谷本廟(親鸞聖人の墓所)へ行くことになり、近くにある清水寺から祇園まで京都の有名散策コースを歩いてきました。


【大谷本廟】
 大谷本廟は、五条通り(国道1号線)を東山に向かって真っ直ぐ歩き、清水焼発祥の地とされる五条坂を上りきった突き当りの東山五条西大谷にあります。
 ここは、親鸞聖人(浄土真宗の開祖)のご廟所で、浄土真宗の門徒としては、ここに納骨するのが最高の喜びになります。司馬遼太郎氏もここに眠っておられます。
【茶わん坂】
 大谷本廟から隣にある清水寺へは、「ちゃわん坂」を通っていきました。かつて、清水焼の窯元が立ち並んでいたのでちゃわん坂と名付けられたそうです。現在は、陶芸ギャラリーや藍染工房が並んでいました。
【岡本織物店】
 ちゃわん坂を上りきったところに西陣織専門店の「岡本織物店」がありました。年季の入った看板に引かれて写真を撮りました。
 それもそのはず、1830年の江戸末期から続く老舗でした。

【清水寺】
 「清水の舞台」で知られる本堂は、13mの高さがあり、釘を一本も使わない木組みで支えられています。
 この日は、外国の団体観光客が多く、始終、韓国語と中国語が飛び交っていました。
【清水坂】
 東大路通りから清水寺へ続く参道の清水坂は、思ったよりの人手でした。道の両側には、清水焼や漬物のお店が軒を連ねています。
【七味屋本舗】
 七味は清水寺の乙羽の滝で修行する僧侶たちにふるまわれた、辛子湯が始まりと言われているそうですが、七味屋本舗は、今から約350年前にその七味唐辛子を商う茶店として誕生したそうです。 京はここの角を曲がって産寧坂へと入っていきました。
【産寧坂(三年坂)】
 「産寧坂」と書かれるのは、安産祈願の子安観音の参道に当ることから「産寧坂」と呼ばれるようになったそうです。
 三年坂で転ぶと三年以内に死ぬという言い伝えもありますが、身ごもった女性が気をつけて坂を上るようにという意味が込められているそうです。 下の写真の右側のあけぼの亭(明保野亭)は坂本竜馬ら幕末の志士が隠れ家としていたところだそうです。

【二寧坂(二年坂)】
 「産寧坂」の手前の坂という意味で名付けられたそうです。
 秀吉の妻ねねが、子供の誕生を念じてこの道を通ったという伝説も残っています。
【維新の道】
 二寧坂を通り抜け高台寺にぶつかった坂道が「維新の坂」です。これを上ったところに京都霊山「護国神社」があり、その中に坂本竜馬と中岡慎太郎の墓があります。
【坂元竜馬の墓】
 京都見廻組の急襲を受け亡くなった坂本竜馬のお墓です。
 石の鳥居の奥、左が坂本竜馬、右が中岡慎太郎の墓です。
 墓の途中には、坂本竜馬への熱い思いを書いた瓦がたくさん置かれていました。どこにあるか分かりませんでしたが、木戸孝允のお墓もここにあるそうです。
【ねねの道】
 高台寺の台所坂下っていると、着物姿の観光客に出会いました。彼女は恥ずかしそうでしたが、とてもお似合いで、通りがかった数人で写真を撮らせてもらいました。
 坂を下ったところが「ねねの道」です。この地で余生を送った北政所ねね様が歩いた道です。ねねの道は、清水寺から円山公園へ抜ける風情ある散策路となっています。
 
【円山公園】
 八坂神社の東に広がる桜の名所です。
 大晦日とあって、八坂神社や知恩院の参拝客を見込んだ露天商がテントを張ったり、道具を運んだりと忙しそうでした。
 
【知恩院】
 知恩院は、浄土宗の総本山で法然上人の御影が祀られています。
 写真は高さ24m、幅50mの三門で、木造の門としては日本最大級です。三門を潜ると、目の前に「おとこ坂」といわれる石段と、その右手に「おんな坂」と呼ばれる緩やかな坂道があり、御影堂へと続いています。
 
【八坂神社】
 八坂神社は、四条通の突き当たりにあり、祇園祭が行われる神社で有名です。、「祇園さん」の名で知られています。 
【花見小路】
 京都の伝統建築物といえば、この「花見小路」と「祇園新橋」付近です。四条通から花見小路へ入る角は朱塗りの壁の「一力亭」があります。
 一力亭は、忠臣蔵の大石蔵之助や新撰組の近藤勇が贔屓にしていたという伝統あるお茶屋です。
【祇園白川】
 川端通から東へ、白川の川沿いには葭簀(よしず)を垂らした町屋が連なり、情緒あふれる景観を醸し出しています。
【南座】
 南座は、国の重要文化財に指定されているわが国最古の劇場です。
 毎年12月には、役者の名を勘亭流の書体で書いた木の看板(「まねき)が掲げられるそうですが、もう取り外されたのでしょう、今日は掛かっていませんでした。

【祇園郵便局】

 祇園の郵便局は、祇園の景観保存地区の近くにありましたが、少し京都という風情からかけ離れたものでした。





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