街角散歩≪金沢八景≫

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2007.02.16(Wed)  京浜急行「金沢八景」駅
(神奈川県横浜市金沢区瀬戸)


 京浜急行の金沢八景駅は、よく利用しますが、駅裏の方は、車窓から眺めるばかりで、一度も足を踏み入れたことがありませんでした。車にカーナビの取り付けを依頼し、作業の終了を待つ間、いつもと違う金沢八景を見てみようと、駅横のガードを潜って駅裏を歩いてきました。
【八景食堂】
 金沢八景駅前の食堂です。
 昭和の匂いがプンプンと漂っています。懐かしさを感じ、写真に収めておきました。
【ガード下】
 京急の金沢八景駅を降りて、すぐ左のガード下です。天井の高さは、2メートル程度で異次元への入り口のような感じです。写真は、駅裏に抜けた所から、駅の正面である国道16号線方向を撮っています。
【茅葺き屋根の民家】
 金沢八景駅のホームから見えるとことにある民家です。
 喧騒な駅前と打って変わって、ここだけ時が止まったような空間です。古民家として保存されているものとばかり思っていましたが、現役のお宅でした。
【横浜市立大学】
 駅裏へのガード下は、意外と若い人がたくさん通っています。その訳は、駅裏に大学があるからです。
【ドクターイエロー?】
 横浜市立大学の正門前には、京浜急行の操車場が広がっています。
 そこで、目を引いたのが黄色い車体の電車です。新幹線には、新幹線電気軌道総合試験車、通称「ドクターイエロー」という多目的な計測ができる車両がありますが、これも同じものなのでしょうか・・・。
【東急車輛】
 列車の車体を製造している「東急車輛」の横浜工場です。東急車輛では、新幹線も作っているそうです。
 工場の横に、「電車市場」という看板の掛かった小屋があります。ここでは、電車のつり革や銘板など、車体に使用するものを販売しているそうです。
【荒川屋】
 船宿の「荒川屋」です。地元では、シロギスの釣り船で有名です。
 ランチもやっているそうなので、「一度食べに行きたいな〜。」と思っています。
 下の写真は、隣の船宿「弁天屋」の弁天丸です。これから、午後の釣りに出港するところでした。
【憲法草創之処】
 この碑は、明治20年、伊藤博文、伊東巳代、治金子堅太郎、井上毅らが料亭「東屋」で明治憲法の草案を起草したのを記念して、昭和10年、東屋の裏庭に金子堅太郎の書で建てられました。その後、東屋が廃業したため、約40メートル離れたこの地に移設されました。
【金沢歴史の道】
 金沢歴史の道は、この碑のある洲崎の交差点を基点として称名寺まで続いています。
 この道沿いには、老舗の「うなぎ屋」さんが多く、うなぎを焼くいい匂いが通りに立ち込めていて、「今度、食べに来よう・・・!」と思いながら素通りばかりです。
 今回も・・・素通りです。
【洲崎神社】
 洲崎の交差点からすぐのところにある神社です。
 この神社は、大津波の災禍後、この一帯に移住した住民らが、第六天を奉じたのが起こりだそうです。明治の神仏分離例により御祭神が誉田別神(ほむたわけのかみ)と定められ、その際に社名が「洲崎神社」となりました。 
【龍華寺】
 金沢区内には、「横浜金沢七福神」というのがあります。「龍華寺」は、大黒天です。
 ちなみに、横浜金沢の七福神は、蛭子(富岡八幡宮)、布袋尊(長昌寺)、福禄寿(正法院)、寿老人(宝蔵院)、毘沙門天(伝心寺)、弁財天(瀬戸神社)、大黒天(龍華寺)です。
【町屋神社】
 この神社の御神体は、八岐大蛇を退治したことで有名な素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。
 豊臣氏の遺臣が牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りしたのが起こりで、明治2年に町屋神社と解明し、その氏子が住む地域が町屋町と呼ばれるようになったそうです。
【横浜金沢郵便局】
 町屋神社から歴史の道を道に沿って進むと称名寺へと続きますが、今日は町屋神社で道を折れて帰宅することにしました。 町屋神社から50メートルほどのところに金沢郵便局があります。
【金沢警察署】
 郵便局の隣が金沢警察署です。ちなみに警察署の向かいが金沢区役所です。


【日産キャラバン】
 今回、新たにカーナビを取り付けたのは、この車です。9年ぶりにハイエースレジアスから乗り換えました。



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